人のふり見て我がふりを見返すべきよ
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[20140805]
一関市川崎町から千厩町に向かう国道、
山間部に入って千厩川の蛇行が始まる辺りに「割山」という地名がある。

割山1

地図にも載ってない地名だが、そう言えばこのすぐ近くに
国道のすぐ脇にあったケヤキを近年の道路改良で切り倒さずに
道路の真ん中に残したという「割山のケヤキ」がある。

さてこの辺り、走っていた時には気付かなかったが
ぐぐるの航空写真を見ると蛇行してる川をショートカットして
締め切った部分が残ってるように見える。
平野部なら川を直線化して蛇行部分が残ってるってのはよくあるが、
ここは峡谷の連なる山間部である。

まさかと思って再度行ってみたがやはりそうだった。

割山3

締め切られてため池になった部分。じゅうぶん峡谷だ。

割山2

ショートカット部分。
いかにも切り崩したような跡があり蛇行による河床の高低差がそのまま滝になってる。

割山4

上流側の締め切った部分。
採石も止めて久しい感じだが、向こうに見える右岸がかなり切り立ってるのが分かる。

この辺の国道は近年、蛇行を直線的に突っ切るように改良されたが
それまでは蛇行に沿って通っていた。
しかし戦後すぐに撮られた米軍の航空写真を見ても
この部分だけは既に川のショートカットがされている。

もともとこの部分は鞍部になっており上流側の崖もあって
右岸に沿って道を付けるよりはいっそここを崩した方が、
そして橋を2本かけるよりは川もショートカットさせて
堤にしてそこに道を通した方が、といったところだろうか。


ところでこの滝には「色の御前滝」という名前が付いていて物語まである。
曰く「京の都から小次郎を慕って旅してきた色の御前が、小次郎の死を告げられて失望し
身を投げたと伝えられる」
こんな話を聞くとかなり昔からこの滝はあったように思われるが
では、いつ頃出来たものなのだろうか。

しかし「色の御前」でググっても多賀城市にある「色の御前社」とも呼ばれる
南宮神社のことしか出てこない。
この南宮神社は明治41年に村社総社宮に合祀されたが、
その後南宮地区に悪いことが続き祈祷してもらったところ
色の御前が出てきて合祀が嫌で戻ってきたがお宮が無いと言われ
土地の人は慌ててお宮を作り直したのだという。

この頃、明治から大正にかけては、明治初期には水運や鉄道に力を入れていたのだが、
日清、日露戦争と続き軍事的な意味もあって全国で車道が整備されていった頃だ。
藩政期の街道もこの部分は北側の山の中を通っていたが、
車道化で勾配の少ない川沿いに作るに当たり、前述のようにここは川を切り崩し滝が出来た。
その時多賀城で流行っていた「色の御前」の話を持ってきたのかもしれない。

もしかすると「割山」という地名も山を割ったということでその時に付いたのかもしれない。
いや、これらは私の想像だけどw

追記:
色の御前の物語の詳細が分かった。
見る目が淵物語といい、

千厩の小次郎は京に出て色の御前と恋仲になり子供も出来る。
小次郎はその報告もあって一度千厩に戻るがそこでは縁談話が待っていた。
なかなか戻らない小次郎を案じて色の御前は乳飲み子をおぶって千厩の家まで行くが
正に祝儀が行われるところだった。事情を察した縁者が
「小次郎は死んだ。今から葬儀をするところだ」と、これからのことを考えた方がいいと追い返す。
しかし絶望した色の御前がこの淵を通りかかった時
水面に映った背中の子供の顔を小次郎と思い込みそのまま淵に飛び込んでしまった。

滝ではなく淵ということになってる。
やはりショートカット以前は蛇行する川の淵だったのだろう。
すると多賀城市の社の物語の方がここのパクリということに?
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