人のふり見て我がふりを見返すべきよ
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[20111202]
皮肉な話ではあるが、釜石の街には流されずに残った蔵が散見される。

釜石・蔵01

釜石・蔵02

内陸部で古めの蔵と言えば文字通り土蔵、土製なまこ壁の蔵が殆どであるが
沿岸ではやはり明治や昭和の津波の体験からか
煉瓦やコンクリ製の蔵が多いのだろう。

よく江戸っ子は宵越しの金を持たないと言われるが
これは家財を貯め込んでも火事が起これば全てパーになる
ということから来てると言われている。
江戸時代は一人の人が生涯に1、2度は大火に遭遇してた
という程度には大火が頻発していた。
家財を貯め込む気になるのは火事に耐えられる蔵を建てられるようになってから
と言う事なのである。
つまり蔵とはそういう物だ。

ちょっと話はそれたが
特にこちらなどはいわゆる灰白色煉瓦で作られていると思われる。

釜石・蔵03

灰白色煉瓦とは溶鉱炉用の耐熱煉瓦なのであるが
レフトオーバー品が鉱山施設などで使われていたのが現在でも見られる。
溶鉱炉の維持管理の為に常に用意されていた灰白色煉瓦が
期限などの理由でレフトオーバーし、鉱山施設などに使われていたと思われるが
一般にも払い下げられてたりしたのかも知れない。

一番上の画像の蔵もよく見るとコンクリの下に
灰白色煉瓦が見えるような気がする。

その画像は大渡町だが、下の二枚は浜町である。
それも古くは澤村遊郭と言われた所。
歩きの浜街道はこの澤村遊郭を登った先にあったし
郵便局を始めとする金融機関も浜町から只越町に掛けた辺に集中してた。
昭和2年に開通した鳥ヶ沢隧道のある旧国道も戦後は大渡橋の袂に真っ直ぐ出ているが
それ以前は一つ裏通りを浜町へ向かうようにカーブしているし
その名残も今でも残っている。


当初街の中心地から追いやられた所に出来た鉄道の駅に
だんだん中心地が移っていく現象は他の街でもよく見られるが
鉄道も時代遅れとなった感のある現代では
中心地は何処へ移って往くのだろうか。
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2011-12-02(Fri) 13:33 | トラックバック(0) | コメント(6) 編集 |
[20101002]
古廟坂逝ってきました。
正に坂だった。

古廟坂01

いつもの、大正から昭和の頃と思われる地形図。
ほんとにもう躊躇無く真っ直ぐ上り降りしている。
まあ、浜街道はけっこうこんな峠ばかりだけど。
こっちを避けて室浜経由と言うのもけっこうあったんじゃなかろうか。
その室浜経由の道も現在ある国道の旧道とは全く違う経路である。
こっちもそのうち逝ってみようか。

古廟坂02

その旧国道へ山田線のガードを潜って直ぐのところに標識がある。
しかし、ここからは行かずに現古廟坂トンネルの脇からショートカットで行ってみる。

古廟坂03

ビンゴ!って、外すほどの物でも無いのだがw
電話線?の電柱が通ってるが、こういうのは旧道沿いに通ってるのが多い様なきがする。
歩きの旧道がけっこう直線的な為だと思われるが、
って、そうか。旧道の目星をつけたらあとは電話線の電柱を探せば…w

画面向こうちょっと左側に入っていくように掘割道がちゃんと残ってる。
戦後に杉の植林が入ってるようではあるが、ほぼ旧道を辿ることができる。

古廟坂04

そのまま辿っていくと現トンネルの入り口を掠めていた。
トンネルの抗口は山肌より突き出ている。
もしかすると古い抗口があったのかもしれない。

古廟坂05

道は暫く直登するが、そろそろ九十九折れが始まるかなと言うところに石積みがあった。
これは道部分ではなく、この上はちょっとした空き地になっていた。
茶屋でもあったのだろうか。
と言うのも…

古廟坂06

その脇には一際大きい杉が二本生えていて、その根元から水が湧いていた。
脇にある山の神の碑は極新しいようだが、二本の杉はホントに太い。ゆうに100年は経ってそう。

って、上の地形図を良く見たら九十九折れの始まる辺りに黒四角があるのに今気づいたw
しかもちゃんと「独立樹(針葉)」の記号も。
やはりそうなのだろう。
と言うかコピーしてきたオリジナルの地形図を見直しても解らないorz
スキャンして多少拡大されたから解ったようなものw

古廟坂07

九十九折れもちゃんと掘割状の道が続く。

古廟坂08

峠部分に着いたら、一際深い掘割になってた。
と言うか頂上一帯が岩の為、通りやすい様に岩を砕いたと言った方がいいかもしれんw

古廟坂09

反対側から。
更にボケボケですんませんw
これほど掘るなら隧道にしてもよかったかもw
後でググってみたらこれも鞭牛和尚の施工らしい。

古廟坂10

大槌のマストの屋上から古廟坂を望む。
一番低い鞍部がそうかな。

2010-10-02(Sat) 19:46 | トラックバック(0) | コメント(8) 編集 |
[20100906]
これは良い廃道紹介番組。
つか、クロ詳しすぐるw



と言うかクロの言ってることはそのままヨッキさんやnagajisさんの見解だよねw

トロステはミクの時もそうだったけど、概してバイアス無しで紹介してくれるのがいい。
フツーのマスコミだとね…

なんか最近は悪い意味でのマスコミ根性が鼻に付く番組が多いような気がしてならないorz

2010-09-06(Mon) 02:26 | トラックバック(0) | コメント(3) 編集 |
[20100421]
悪魔がおるでは無いw

やっと天候も良くなってきたので、懸案だった部分へちょっとw

古地形図01

クリックで拡大します。
県立図書館にある多分大正期から昭和初期頃と思われる地形図。
笛吹峠から遠野方面へ至る道が途中で二手に分かれている。
一方、上の方は飯豊へ至る。他方は糠前へと至る。
この糠前の方の道は分かれた所からえらく等高線が密な所をぐねぐねと通っているのだ。
これは残ってる可能性が高いのでは無いかとw
と言うわけで逝ってみた。

現在の地形図ではこの辺か。

地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名: 土淵(盛岡)

県道の丁度その位置から下を覗くと、ビンゴ!
あるあるw

笛吹峠10

いい感じに掘割道だ。

笛吹峠11

ぐねぐねと川沿いまで降った所にぐにゃりと折れ曲がった警戒標識が。

笛吹峠12

覗いて見たところ所謂「つづら折りあり」の標識だった。
現在の地形図にもここら辺まで点線がきてはいるが、この周りはもう道路の体はなして無いw
もしかすると上の県道から落ちてきたものなのか?


さて、問題は県道より上の部分である。

笛吹峠13

この辺、近年伐採されたようで薮化が激しそう。

下の部分を降り登りしただけでけっこう がおった ので
今回はパスとする。
がおー!

笛吹峠14

県道を少し降った辺りから。
左手の鞍部の少し下辺りで飯豊からの道と合流して、右手の山の向うへ抜ける感じかしら。

なんか伐採によって残ってるのが絶望な感じがしないでもないが…
[20091102]
所用で松島に逝ったあとにふと思いついて聖地巡礼をw

いや、実は所謂"聖地巡礼"自体初体験ですw

場所は七が浜町にある鼻節神社。
もちろん「かんなぎ」の神薙神社のモデルです。

鼻節神社01

階段の奥にもう一つ鳥居が見えますがそこで本参道が右に分かれています。
普段の参道は左手へ。


鼻節神社02

左手が社殿、右手に先ほどの本参道からの階段があります。
そこは…

鼻節神社03

ずっと下に鳥居があるのですが画像中では分からないくらいw
風邪気味だったこともあり、下まで逝くのは止めましたorz

この社自体、松島湾沿岸にありがちなぽつんと残った島状の高台の上にあるのですが、
それを上手く利用してる感じでしょうか。

鼻節神社04

そこから社殿方面。
新旧2対の狛犬がありますが、アニメでは奥の新しい方が使われています。

鼻節神社05

境内の様子。

鼻節神社06

社殿の脇。

鼻節神社07

アニメの冒頭のシーンはこんな感じかな?


おまけ

途中、旧塩釜線の可動橋があったという所に寄ってみる。

塩釜01

塩釜線についてはこちら、

塩釜線 後編 - 鉄の廃路

さらにおまけ
そこから見える巡視船まつしま。

塩釜02

2009-11-02(Mon) 03:57 | トラックバック(0) | コメント(6) 編集 |
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